
当教会の歩み
-これハま つだいしかとをさまる-
明畑分教会の歴史について
大正15年頃 大前孝治郎が入信。
昭和 9年 孝治郎 おさづけの理を拝戴
昭和12年 妻・サトル おさづけの理を拝戴
昭和21年 当時の社大教会長より教会設立の提言
昭和22年9月24日 教会設立のお許し。孝治郎が初代会長に就任。信徒名簿44名
昭和23年 5月 實、つた子婚約
昭和26年10月 8日 初代会長・孝治郎が出直し(死去)
昭和26年11月27日 二代教会長に實が就任
昭和47年11月22日 神殿落成
昭和59年11月24日 道廣、ひとみ婚約
平成 7年10月26日 三代教会長に道廣が就任
平成 7年11月 2日 教会設立50周年記念祭
平成 9年11月10日 二代教会長・實が出直し(死去)
平成10年 9月 教会墓地改修
平成29年11月 2日 教会設立70周年記念祭
令和 3年3月25日 二代教会長夫人・つた子が出直し(死去)
初代教会長 入信のきっかけから神殿落成まで
初代教会長・大前孝治郎の入信のきっかけは、父・藤吉が胃がんで苦しみ
のたうち回りながら死去したこと、
妹・カズエの肺病の平癒を願うところからであった。
当時、大きな広がりを見せていた天理教の教えであれば、
この"悪しき因縁"を断ち切れるのではないか、
とワラにもすがる思いから信仰を始めたのである。
カズエは天理教教会本部の教校別科を務めて、肺病をご守護(平癒)いただく。
その後は孝治郎と妻・サトルも熱心に信仰をはじめた。
孝治郎は農業や小間物商を営みながら、サトルと共に、
病む人に取り次いで病気回復のご守護を願う"おさづけの理"を拝戴し、
おたすけ人として邁進した。
その数年後、太平洋戦争が激化。
孝治郎の長男・實も南方の戦線へと召集されたが、戦場へ出陣の当日朝、
突如腹痛が起こったことにより
奇跡的に命を落とさず帰国することができた。
この出来事を深く親神に感謝した孝治郎がますますおたすけに奔走していたところ、
終戦後に当時の社大教会長より教会設置の提言があり、
昭和22年9月24日に設置のお許しをいただいた。
意気揚々とおたすけに励んでいた孝治郎であったが、
教会設置からわずか4年後、
昭和26年に57歳の若さで出直し(死去)した。
その後、實が二代教会長となり、
孝治郎の出直しから22年後に落成した教会神殿は孝治郎の悲願であった。

